青木淳悟『いい子は家で』(ちくま文庫)解説
青木淳悟の短篇集『いい子は家で』の単行本が出た時、わたしはこんな書評を書いている。
みんなちょっとオカンのこと美化しすぎちゃうの? あんたん家のオカン、ほんまに料理上手なん? ぬか漬け、うまいのん? ほんまはスーパーのできあいのお総菜買うてきてるんちゃうの? 醜い体でビリーズ・ブート・キャンプに入隊して五分で脱走してるんちゃうの?
リリー・フランキーの親孝行プレイにつられちゃってるそこらの単純素朴な青年に、わたくしは問いたいんであります。あんたのオカンは、ほんとはかなりヘンテコな代物なんじゃないですか、と。で、読んでほしいわけです、青木淳悟の『いい子は家で』を。ここに収められている表題作と「ふるさと以外のことは知らない」の中に描かれている母親こそが、リアルオカンというものなんではありますまいか。
特におすすめなのが「ふるさと──」。夫と息子には鍵を持たせず、自分が外出する際には置き鍵をし、〈そうした鍵の管理に象徴されているかのように、家庭内での生活はおおかた、母親を中心に営まれているといってよかった。あるいは母親の日常が家庭生活中心であり、その現実感が隅々にまで浸透していてそこでは支配的なのだ〉という文章に代表される、この小説世界における母と家のありようがハイパー・リアルなんです。
赤い革製のキーケースに鍵をつけ、これでなくす心配がないと安心する一方で、置き鍵という防犯上大変問題のある習慣についてはまったく不安を覚えない母親。スーパーで専用タンクを買って無料で飲料水が確保できるようになると〈車のガソリンを使わず、水道メーターをまわさず、ひいては金を一銭もかけずに〉自転車で水汲みにいく倹約家の母親。家族が外出するたびに玄関にやってきては身だしなみや忘れ物のチェックをし、出かける気分に水をさす母親。洗濯に異様な情熱とこだわりを見せる母親。車の助手席から運転の仕方に口を出しては夫を激怒させる母親。免許を取ったばかりの息子に自動車保険の契約内容を事細かに説明しながらも、ふいに口をつぐんで、息子が自分でパンフレットから知識を吸収するよううながすのが教育的配慮だと思ったりする母親。
読みながら、幾度大きくうなずいたことか。そして、そんな母親という生きものの奇妙な生態を、絶妙な距離感を保ったまま描き尽くさんとする作者の偏執狂的視線に、どれほど呆れ返ったことか。世間に垂れ流されているオカン賛歌小説に対するアンサーソングとして、これはかなりトリッキーで痛烈な批判性を備えた小説なんであります。青木淳悟の黒さに拍手。
(「TV Bros.」二○○七年七月二十一日号)
どうして、なんちゃって関西弁から始まっているのかといえば、リリー・フランキーの『東京タワー ~オカンとボクと、時々、オトン』が本屋大賞を受賞して、バカみたいに売れていた当時の状況に対してイライラしていたからなのである。男が抱きがちな幻想のオカンへの甘ったれた欲望を、ベタな表現で綴った小説以前の拙い作品が、なぜ二百万部を越えるベストセラーになるのか。そのいらつきが頂点に達した頃に読んだものだから、約一千字しかないスペースではしかたないとはいえ、青木淳悟作品に描かれる母親像へのシンパシーにしか触れられていないのが残念なレビューというべきだろう。
この作品集で篤く語られなければならないのは、普通の人なら当たり前すぎて注視したりしないし、普通の作家なら描かなくてよしとスルーしてしまうような身のまわりの些細な事物を、ミクロ的視点ですみずみまで描写しようとする異様な熱意についてであり、母親はその対象のひとつにすぎない。