高田大介『図書館の魔女 烏の伝言』(講談社文庫 解説)

今年(2025年)12年ぶりにようやく出たシリーズ2作目『図書館の魔女 霆ける塔』(講談社)刊行を記念して、2015年に刊行され、17年に文庫化されたスピンオフ的作品『図書館の魔女 烏の伝言』の解説を放出いたします。
豊﨑由美 2025.11.23
読者限定

 まず、最初に。シリーズものを紹介する時、わたしも含めて書評家は「一作目を読んでいなくても十分楽しめます」という文言を使いがちですが、ことこの作品に関しては、二○一三年に発表された『図書館の魔女』の世界を体験した上で読んでください。

 山賤と呼ばれる民が暮らす鍛冶の里に生まれ育った少年キリヒトが、王宮の命により史上最古の図書館に暮らす〈高い塔の魔女〉マツリカに仕えることになる。が、古今東西の書物をひもとき、数多の言語を操って、その叡智で国を動かすがゆえに「魔女」と畏れられている人物は、自分の声を持たない少女だった。人並みはずれて耳が良く、里で手話を学んできたゆえに、すべての言語に通じ、相手の話をよく理解しながらも話すことができないマツリカの通訳として、彼女につき従うようになるキリヒト。〈私がお前の名前を呼ぶことはない〉、そんな冷たい言葉から始まった主従関係だったものの、やがて、つないだ手の中で指を使って話す〈指話〉という方法を編み出した二人は、精神の深いレベルで互いのことを良く理解していくようになり──。

 アレキサンドリア図書館、ペルガモンの図書館、アッシュールバニパルの図書館。かつて歴史上に存在し、失われてしまった大図書館への愛惜の念をうかがわせる舞台設定。印欧語比較文法・対照言語学を専門とする作者の、言語学者としての知識と教養をふんだんに、しかし、読者を置いてきぼりにしないよう配慮した上で活用した語り口と世界観。大勢の個性的かつ魅力的な登場人物の活躍によって生まれるたくさんのドラマ。マツリカたちが所属する一ノ谷に対して剝きだしの覇権意識で対抗してくる大国ニザマ、ニザマにけしかけられて一ノ谷に戦端を開こうとしているアルデシュ──さまざまな陰謀うごめく海峡地域の動乱を、武力ではなく知力と言葉の力で収めるべく奔走するマツリカとキリヒト。そんな二人の間でじょじょに育まれていく、互いへの信頼と友情、そして深い愛情。

 しっかりと構築された世界で展開する面白いにもほどがあるこの物語を体験した後で、スピンオフ作品というべき『図書館の魔女 烏の伝言』をひもといてほしいんです。そして、今回のストーリーが図書館とは関係のない山の中から始まることに、とまどいを覚えてほしいんです。そのとまどいが、幾度かの驚きを経て、読み進めるほどに感動へと変わり、その感動がシリーズ一作目からなんと十二年を経てやっと発表されたシリーズ二作目『図書館の魔女 霆ける塔』への胸打ち震えるほどの期待へと導いていく読み心地の変化をぞんぶんに堪能してほしいのです。

 まず登場するのは、ハァウという名を与えられた一羽のカラス。カラスが目指しているのは、〈左の目が潰れており、引きつった皮膚の膠原質がこめかみから目尻にかけて大きな古い傷痕となって張りだし、左の眼窩の一隅を覆ってしま〉ったため、〈気味の悪い面構えになって〉いる鳥飼の男エゴン。〈人目には恐ろしげな相貌から鳥にだけ判る目配せを遣って鳥を思うままに操る〉ことはできても、まともに喋ることができない彼のことを、誰もが馬鹿であり迂鈍であると見なしている。

 カラスを伝書鳩のように操つる伝令役エゴンの仲間は、国境に近いクヴァン山岳の道案内を務める荷運びに徴発された山賤と蔑称される剛力の面々で、〈山の知恵の塊〉のような老人ゴイを頭にいただく彼らを雇っているのは、ニザムの高級官僚の姫君ユシャッパと近衛兵の小隊。姫君一行はシリーズ第1作で描かれた動乱と内紛によって国を追われる立場に置かれていて、自分たちを逃がすための船を調達してくれるはずの人物が経営している娼館がある港町クヴァングワンを目指しているのだ。

 その逃避行の途中、減らず口ばかり叩いているが、ゴイの信頼も厚い若衆のまとめ役ワカンやエゴンらは偵察に出た先で、無惨にも住民ごとそっくり焼かれた集落と、その奥にひっそりと立つ掘っ立て小屋に隠された地下蔵で二人の男児を発見する。白い肌の少年は息絶えていたが、黒い肌の少年はまるで冬眠しているかのような状態で、かろうじて生き延びていた。一行は、意識のない男の子と、彼を守るかのようにつき従う黒犬を連れて仲間のもとへと戻る。

 と、ここまでが全十七章からなる物語の、ほんの二章を過ぎたあたり。第三章で、彼らはいよいよクヴァングワンに入っていく。追い剥ぎや夜盗が横行し、資産家の家や寺院は暴徒による焼き討ちで蹂躙と略奪のかぎりを尽くされた、荒れに荒れているこの港町に到着し、姫君一行を娼館へと何とか無事に送り届けたゴイら剛力衆。仕事が終わったかと思いきや、しかし、本当の艱難辛苦はここから始まるのだ。

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