マームとジプシー『‹ ‹ ‹ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──』劇評

死ぬまで「今」という中間地点を生き続けることが宿命づけられているわたしたちが、後ろに残し続ける断片的な記憶の「、」と「、」を、リフレインという手法を使ってつなぐマームとジプシーの芝居は、つまり、だから、われわれ生者と今を彼方に残した死者と過去に結びつける力を持っている。(2014年7月記)
豊﨑由美 2026.06.12
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 地方都市出身者の多くが経験していて東京出身者の多くは経験していない、ということがひとつある。それは乗り物に乗って、もっと大きな街に出て行く──故郷を去る──こと。かく言うわたしも、18歳で大学進学する時に、ボストンバッグとセキセイインコを1羽入れた鳥かごを持って、名古屋から東京へと向かう新幹線に乗ったことがある。

 バスの中で、、、、わたしは、、、もう、、、この街、、、には、、、帰れない、、と思った、、、

 帰らない、、と決めた、、、

 だから、、もう、、、帰る、、、っていう感触、、、すら、、、忘れそう、、、

 もう、、、残っていない、、、かもしれないから、、、あの頃、、、も、、、食卓、、、も、、、

 懐かしんで、、いちゃ、、ダメかな、、、

 たまに、、、後ろ、、、振り向いちゃ、、、いけないかな、、、

 藤田貴大の岸田國士戯曲賞受賞作『かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと、しおふる世界』の登場人物の一人、りりは大学進学で北海道の伊達市から上京する時、そう思う。この感傷を大仰だと感じるのは故郷を去った経験のない者だ。「此処は自分の居場所ではない」「息苦しくてたまらない此処から、早く出ていきたい」、そう願って思春期を過ごした若い、というか人としての器がまだまだ小さな人間は、故郷に向ける厭わしさと愛着に心を引き裂かれながらそこを後にする時、「もう、帰れない」「もう、帰らない」という決意を胸にしないではいられないのだ。

 岸田賞受賞作の中の「かえりの合図、」「まってた食卓、」、そして取り壊されることが決まった実家に積み重なってきた時間と記憶にまつわる戯曲『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト』の主題をリミックスした『‹ ‹ ‹ かえりの合図、まってた食卓、そこ、きっと──』の中でも、りりのこの台詞はリフレインされる。

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