柴崎友香『寝ても覚めても』(河出文庫の解説文)

傍から見れば滑稽だったり不気味だったりもする恋愛が本来的に内包している異様さを、手持ちの技すべて投入して露わにしてみせる。ラストに震撼必至の傑作!
豊﨑由美 2026.03.11
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 ああ、そういえば、柴崎友香の小説で描かれる恋は、なんというか、こう、いつも少し変わっているのだった。筆致は端正でさっぱりしているにもかかわらず、読んでいると気持ちがざわつく。胸の奥に、ヘンな感触の何かを刷毛でさっと塗りつけられた、そんな違和感を覚えたりするのだった。

 たとえば、2007年に出た『また会う日まで』(河出文庫)。この小説は、高校時代に気になっていた同級生の鳴海くんと6年ぶりに再会するため、会社を休み、大阪から上京した有麻〈わたし〉の月曜日から土曜日にかけての日々を綴っている。有麻には鳴海くんとの特別な思い出があって、それは修学旅行。

 みんなで試してみた他愛のない心理テストで、鳴海くんが自分のことをセックスフレンドだと思っているという結果が出て、〈そのときわたしは、ああ、やっぱり思ってることはバレるねんな、と思った〉のだ。とはいえ、その後交際に発展したということもなく、鳴海くんのことを知らない友人からどういう関係だったのかと訊ねられても、〈手も握ってない。わたし、鳴海くんの彼女と結構仲良かったし〉と、ごくあっさりした反応しか示さないのである。

〈「なんて言うたらええんかなあ。うーん、動物っぽい勘? かっこいいとか付き合いたいとかいう気持ちでは全然なくて、なんとなく鳴海くんといっしょにおるときは、生き物っぽい感触がするねん」

「余計わからん」

「そらそやな」

 わたしはもうそれ以上説明しようと思わなかった。誰かに話そうとするとどんどん感じていることからは遠ざかってしまう。鳴海くんのことはいつもそうかもしれない〉

 そんな会話から、読者であるわたしは「ふーん。じゃあ、恋というわけではないのかな」と思ったりもするのだけれど、鳴海くんと再会した有麻は、彼からもうすぐ結婚することを告げられれば〈一瞬立ち止まりそうになった〉のだし、〈鳴海くんが黙ってわたしを見てるときのその感じが好きというか、それを何回も感じたかった〉ことを再確認したりもするので、「えー、じゃあ、やっぱり恋なんじゃないの?」と大いに判断に迷うところなのである。

 だいたい、鳴海くんという人もちょっと変わっており、彼氏がいるくせに自分につきまとってくる年下の女性・凪子を、結婚予定の彼女と同棲している家に泊めてやったり、その婚約者が結婚準備で実家に戻っているため、束の間の一人暮らしとなっているところへ有麻を泊めたりもするのだ。そればかりか、チューハイの缶を有麻の口まで持っていき、手ずから飲ませてやったりもするのである。

〈鳴海くんはちょっと首を傾けて、もう笑っていなかった。冷たくて硬い缶の感触が唇に戻ってきた気がした。それと同時に、さっきはどこも触らなかったのに、鳴海くんの手が缶といっしょにわたしの顔に触ったような錯覚がした。手というか、ただ生温かくて柔らかい感じだけが、風で冷えた頬と手に触ったような気がした〉

 ここに至って、ようやく鈍感なわたしにも薄々察せられるのである、これが「性欲」にまつわる物語だということが。有麻は、そして鳴海くんは、互いがセックスの相手として最良だということを、17歳の若さで動物的直感で悟ったのだ。普通ならそれを「恋」と勘違いするところを、二人は、正しく(しかし、言語化できないまま、ぼんやりと)「性欲」と認識できたのである。この、性欲と愛情がごっちゃになりがちな若い頃の「恋」を、本番のセックスなしで描ききってみせたのが『また会う日まで』という小説なわけで、それって凄いことだけど、やっぱり少し変わってる。だって、「友達以上、恋人未満」みたいな気持ちを抱いてきた男の子と大人になって再会して──なんて甘酸っぱい物語を読んでる気になっている読者が本当に読まされているのは、「恋心と性欲の区別はつきにくい」という身も蓋もない真理をめぐる小説ってことなんだから。いやー、黒いわ。エグいわ。ざわつくわ。

 つまり、文体や作品世界の雰囲気が一見柔らかく見えるがゆえに「ガーリー」と称されがちな柴崎友香が、実はかなりの曲者だということ。で、その曲者ぶりがパワーアップ&ヒートアップしているのが『寝ても覚めても』なのだ。物語の大枠は、例によってこんな具合に甘やかであるにもかかわらず。

 1999年4月、大阪。大学を出て就職したばかりの朝子〈わたし〉は、偶然、一日に二度出会った青年に一目惚れをする。

〈好みとかそんなんじゃなくて、ああ、これがわたしを待ってたそのものやったんやなって〉

 青年の名は鳥居麦。それまでいろんなところを渡り歩いていた麦は、つきあうようになっても、時々ふらっといなくなってしまう謎めいたところがあって朝子を不安にさせるのだが、案の定、その年の冬、上海に行くと旅だって消息を絶ってしまう。

 2005年、7月。東京の劇団に移ってそこの脚本を書くことになった友人の手伝いをするという名目で、2年4ヶ月前から上京している朝子の目の前に麦そっくりな青年が出現する。彼の名は丸子亮平。いつしか二人はつきあい始めるのだが、2007年4月、人気急上昇中の新人俳優となった麦と、テレビの画面を通して再会した朝子は──。

 この粗筋に鼻白んだ人こそ、読むべき。運命の人と思った男に去られたヒロインが、その彼とそっくりな男とつきあうようになる設定や、運命の人が人気俳優となって再び出現する展開を「通俗的」と退ける人こそ、絶対に読むべき。これは皆さんが想像するような小説ではまったくないので。一目惚れをめぐる物語がどうしてこんなことに……と、読後、絶句&瞠目必至の異形の恋愛小説なので。

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