宮沢章夫『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』(新潮社)

記憶の揺らぎと不確実さ。その不安の根源の気配を描いて不穏な小説。(2011年9月「新潮」に寄稿)
豊﨑由美 2026.02.28
読者限定

 5年ほど前、中学時代は仲がよかったのだけれど、ちょっとした事件をきっかけに長らく音信不通になっていたSから、ふいに電話がかかってきたことがある。

「中学の時にUFO見たことがあるよね」

 どこから電話をしているのか、耳障りな雑音を背景に、Sは一気にそう訊ねてきたのだ。

「部活してたじゃん。で、陸上部の子が『なんだ、あれ』って空指して、大騒ぎになったんだよね。なんだ、あれ、なんだ、あれって」

 なんだ、それと言いたいのはわたしのほうだ。20年ぶりに電話をかけてきたと思ったら、UFOって、なんだ、それ。しかし、Sはわたしの沈黙を意に介さない。

「うそっ、覚えてないの? テレビが取材にきたのに。トヨさんが一番大騒ぎしてたのに。UFOだ、UFOだって、運動場走り回ってたのに……。じゃ、いいっ。メキンちゃんに訊いてみる」

 唐突に切れた電話を前に、わたしはじわじわと不安に包まれていった。UFO? テレビ? 一体、ひとはそんな大事件を忘れてしまうものなのだろうか。何日間も思い出そうと頑張ったのだけれど、記憶のかけらすら見つけられず、一時期不安はマックスに達し、ついに空を見上げてはUFOを探すようになってしまったのである。乱視のせいで実際よりも揺れて見える夜間の飛行機を見かけるたびに、UFOかもしれないと、立ち止まって数分観察するくせがいまだに抜けないのである。でも、だから、わたしには少しは理解できる、宮沢章夫『ボブ・ディラン・グレーテスト・ヒット第三集』に登場する〈内田〉の不安とおののきが。

この記事は無料で続きを読めます

続きは、1883文字あります。

すでに登録された方はこちら

読者限定
ミシェル・ウエルベック『地図と領土』(ちくま文庫)書評
読者限定
『あまちゃん』はガール・ミーツ・ガールの物語
読者限定
ジョイス・キャロル・オーツ『とうもろこしの乙女、あるいは悪夢』(河出文...
読者限定
西村賢太『疒の歌』(新潮文庫)書評
読者限定
青木淳悟『男一代之改革』(河出書房新社)書評
読者限定
山下澄人『ギッちょん』(文春文庫)
読者限定
西村賢太『歪んだ忌日』(新潮文庫)
読者限定
柴崎友香『寝ても覚めても』(河出文庫の解説文)