ジャック・ロンドン『犬物語』(柴田元幸編訳 スイッチパブリッシング 2017年11月「すばる」に寄稿)
「大阪船場の旧家の四姉妹の、贅沢な生活や見合いがどうしたこうしたなんて話のどこが面白いんだろう」
そう首をひねって谷崎潤一郎の『細雪』を放り投げた高校生の自分のことを、それから十数年後、わたしは深く恥じることになるわけで、つまり、旧著再読とはそういうことなのだ。いわゆる名作と呼ばれる作品やその作者の価値は、初読時(たいていの場合、若い頃)ではわからないことがよくある。わたしにとっては、ジャック・ロンドンがそんな作家の一人だった。
どこでそんな生半可な知識を仕入れてきたのやら、『荒野の呼び声』(海保眞夫訳の岩波文庫版)を読んで、「橇犬社会の中で主人公犬がリーダーの地位をめぐって繰り返す闘いを、作者がかぶれてた『共産党宣言』説くところの階級闘争のメタファーにしてるわけでしょ。ジャック・ロンドンなんて時代遅れの作家、今読んだって仕方ない」と、わかったような口をきいていた大学生時代のわたしを、完膚なきまでに叩きのめしてくれたのが、柴田元幸が二○○九年に訳出した短篇集『火を熾す』だったのだ。
零下七十度を下回るカナダの白い大地を、仲間との合流点を目指し、一匹の犬を道連れに歩く男が経験する極寒地獄を描いた表題作。老いぼれボクサーの心象風景を綴って胸を打つ「一枚のステーキ」。究極の飢餓を描いて表題作の兄弟版のような趣きを持つ「生への執着」。革命資金を調達するために驚くべき献身を示す男の、壊れた悲しい魂を読者に差し出して戦慄的な「メキシコ人」。
などなど、ここに収められた九作品を読んで、己の不明に気づき体を縮こませたのは言うまでもない。それぞれに読み心地は異なれど、これらの作品は、どの時代で出合ったとしても臨場感たっぷりに読める普遍性と、新しさを担保できる強度を備えた、正真正銘の“名作”だったのだ。
『犬物語』は、そのジャック・ロンドン待望の第二弾となる短篇集。大学生時代のわたしが誤読した『荒野の呼び声』の新訳「野生の呼び声」他四篇の、犬にまつわる物語が収録されている。